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新記録の更新に次ぐ更新で話題になっている日本選手権 水泳競技大会 競泳競技 が日曜日まで開かれていました。私は土曜日の夕方から、準決勝・決勝は6:30からの部を観に、辰巳国際水泳場(新木場)まで行ってきました。この日(4/7)が準決勝になっていた種目が先に行われたので、程なく池江璃花子が100m自由形に登場です。準決勝から本気モードで泳ぐものなのか、少しゆっくりめに泳ぐような気もするのですが日本新記録53秒46が出ました。翌日の決勝でも100m自由形で更に記録を縮め53秒03の、日本新記録を再び出しています。100メートルバタフライでも56秒38の日本記録を出しています。日本の水泳は平泳ぎと背泳ぎが世界的には強いですが、池江選手は日本人の弱い方が強そうと個人的には思っていました。今回のタイムはリオオリンピック決勝で泳いだと仮定すると100m自由形では4位、100mバタフライでは2位(銀)に...
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丹波国の上杉荘(京都府綾部市)で生まれた足利尊氏が六波羅探題を滅ぼした後、京都から鎌倉や地方に軍勢を率いたり、攻められて京都から落ち延びたり、いない間に占拠され京にはすぐに戻れなかったりと、室町幕府の初期の頃は行ったり来たりしています。新田義貞に負け九州へ下り、弟の直義追討を図り南朝と和睦して鎌倉へ進んだ折も、南朝の裏切りによる京都の奪取が繰り返しあり、直冬(尊氏庶子で直義猶子)の大攻勢があった時にもまた一旦京を放棄しています。その時の直冬との合戦で受けた矢傷により、尊氏の背中の腫れ物ができ、54歳の時に亡くなっています。今回訪れた等持院は足利将軍家歴代の菩提所となっています。本尊である利運地蔵尊(伝弘法大師作)、達磨大師と開山した天龍寺の夢窓国師とを左右に足利歴代の将軍像(5代義量と14代義栄の像を除く)が、徳川家康の像と共に両側に安置されています。現在、方丈・霊光殿・清漣亭が耐震補強工...
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台風が襲来間近だった昨年の秋、雨風をよけて色々と勉強もできる行き先へ、道すがらは少し心配もありましたが向かいました。草津駅前からでる近江鉄道バスは出発15分前。ハンバーガーをテイクアウトしお釣りは、この天候の中にいた学生さんのあしなが育英会の箱へ寄付しました。2、3日の間に降った水をこの辺り一帯の田んぼと琵琶湖の面積に蓄えられるとすると、洪水はこの近辺では大丈夫なのかもしれないと思ってみたり、琵琶湖の水位を10センチ上げる降水量は、流れ込む周辺河川を入れてどれぐらいだろうとバスの中で考えていました。滋賀県立琵琶湖博物館へバスが到着し、道路脇から博物館の屋内へ入るまでに着ていた服は相当に濡れてしまいました。入り口のチケットブースで"水生植物公園みずの森"の共通チケットを勧められましたが、天候が天候なだけに、屋外での観察は今回は無理でした。こちらは、草津市の施設ということで、また別なのだと言っ...
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木製の風情のある新海三社神社の鳥居の脇を通りました。マイクロバスのなのでそのまま通過してしまいました。ここから大ケヤキと大スギが立ち並ぶ参道を登ります。新海三社神社坂の上を上がった駐車場から拝殿へと上がる石段までの道には、佐久の酒、18銘柄の樽が2段になって納められています。この辺りの上空は木々から抜け出ていて、晴れの日の光が届いていました。石段を上ると拝殿が正面に見え、その脇に神楽殿が見えます。夏越の祓の"茅の輪くぐり神事"当日で、神社の方が慌ただしそうに動き回られていました。新海三社神社には、源頼朝の社殿修理再興の口碑、武田信玄が箕輪城攻めのために行った戦勝祈願の願文も残されています。三重の塔は室町時代の1515年に神宮寺の塔として建てられ、明治時代には神社の宝庫となり廃仏毀釈を免れて、創建当時の姿を現在も見せています。主神は興波岐命(おきはぎのみこと)で、新開神(にいさくのかみ)とも...
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映画を中心とした各アトラクションでパフォーマンスをして観客を魅了するために、多分LAやオーランド、イギリスの魔法魔術学校からもやってくるのでしょう。お客さんの方は日本語が多いですが、アジアや欧米からの多言語が聞こえてきました。入場券を買って並ぶところから人が多く、園内へ入場し終えた段階で、どこを見て回ろうか初めての雰囲気も大切だと思っていたので、決めていないままテーマパークを周り、雰囲気を感じながらゆっくりと歩きました。歩いていると、お姉さんやお兄さんがアトラクションの前で次に始まるショーの呼び込みをしていていました。☆ユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロール・ショーあと20分から30分で始まる照明が暗くなったステージの座席へまず入場しました。海外からやって来た外人さん。ショーが始まる時に日本語を使って盛り上げるのですが、関西弁で面白おかしく語り出すところをできるのが、すごかったロ...
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小高い丘の上に建てらたお城は、曲線の城壁で周りは取り囲まれています。120メートル~130メートルの標高があります。首里城を訪れた朝方は雨でした。前回訪れただいぶ前の記録になりますが、その旅行期間中を通じて唯一の雨日です。モノレール(ゆいレール)首里駅で下車してから昼食を摂り、芸術大学の間の道を通り、15分くらい歩き円鑑池に出ました。円鑑池に架かる弁財天堂へ渡る天女橋は、中国南部の駝背橋(だはいきょう)の特徴をもち、石の欄干(らんかん)には蓮(はす)の彫刻等が施されています。首里城や円覚寺からの湧水・雨水が集まり、隣の池、龍潭(りゅうたん)に流れています。道の前方に石垣が横に広がっているのが間近に迫り、その上え向うには朱(あか)の首里城が見えます。龍潭道りから歩いてくると、守礼門を内側に到着して、反対側から守礼門を観ました。一度門をくぐり、首里杜館から守礼門を折り返し通ります。守礼之邦(し...
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今年1番くらい暑かった昼間から、夕方になり雨が降ってきました。夏らしいと思った昨日。東京ドームへ野球観戦へ出かけました。子供たちの夏休みや大人たちでもお盆休みに入った方も、夜の時間帯は野球のゲームセット(オーバー)まで観戦。明日の朝の為に早く立ち上がって帰ろうとした人もあまりいなかった様に思います。8月9日(水) 巨人 対 阪 神 15回戦 東京ドーム巨人:畠  阪神:青柳 の先発で始まり、序盤は終始阪神ペース。ロジャースと福留のタイムリーで(0-2)。青柳は5回(4 0/3)まで巨人打線をノーヒットに抑えます。2000本安打に間近の阿部にこの日ヒットは出なかったものの、四球を選び橋本と代打宇佐見のヒットで2アウト満塁。この日チャンスらしいチャンスが巨人に初めて訪れましたが、後続続かず無得点でした。座席から見ていて、球種まではっきりは見えないのですが、代打の石川選手はストレートをファールし...
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大阪に着いてみて、天気はお花見で入学式日和。スーツを着て大阪城ホールから歩いて来る人達が話していたのが聞こえ、阪大の新入生と親御さんの様でした。彼らは私の後、コンビニレジに並び、少し遅かったら長蛇の列に巻き込まれる寸前。花見はお酒ですが、ノンアルコール・ビールなどをボケットに半出しで、喉を潤しながらのスタート。石垣を左を曲がり、お堀と天守閣の方へ向かうと、服装もカジュアルでお花見の為に来ていそうな子供連れから大人まで。中々、知らない日本人同士は国内で、話して打ち解けることもまあまあないような気がして、ただ旅行者同士だと、今回の旅程の話は弾むように思います。環状線で大阪城に向かう時から、スイス在住の多国籍カップル(deu-mex)と、乗り継ぎや住まいなど短い乗車時間ですが話しをしました。2人ともに出身と違う国に住むことなどを想像してみました。大阪城公園での花見は2回目なのですが、前回は天守閣...
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試合に負けないで、勝つことが決着する地点が、1回から9回の終わりへ経過していくところであります。ワールド・ベースボール・クラシック2次ラウンド プールE日本 VS イスラエル 東京ドーム2017年3月15日 (水)19:00~WBC、日本が2次ラウンドの勝ち抜け、決勝トーナメントへの進出条件としては試合前の地点で、イスラエル戦は失点率から9回4失点以内でした。失点率云々だけでなく、野球の国際大会での試合としては、点を取られないディフェンスが大切だと思います。1点も取られなければ絶対負けないこともありますが、先年の強化試合からは打ち合いの試合も目立ったよう気がしました。日本の先発投手、今大会2試合に中継ぎ登板して計4イニングを無失点に抑えている千賀(ソフトバンク)がマウンドに登りました。一方、イスラエルのチームとはいうと、イスラエル代表に最終選考された、28人全員がユダヤ系アメリカ人でメジャ...
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寒くなり始めた頃、千葉県の城下町である佐倉を散策しました。国立歴史民俗博物館と博物館が立地する佐倉城址、幾つかの美術館には時々訪れてはいたのですが、京成佐倉とJR佐倉との、乗り換えするには遠く、そこに挟まれた佐倉の街並みを歩いたことはなかったので、暖かい日には徒歩もいいです。佐倉の城下町は土井利勝が徳川家康の命により完成させ、幕府の老中職についた大名が各藩中最多を数えたことから、老中の城とも呼ばれました。それ以前の下総国は、千葉亥鼻城と臼井城、本佐倉城、鹿島城へと遷り、大堀館を経て(近世)佐倉城となります。京成佐倉駅から幹線道路の上り坂を骨董品店に見えるものがあったりで登っていくと左手に佐倉高等学校があります。前身の佐倉藩学問所から流れをくみ、数えて200年以上の歴史があります。明治33年の移転時に建築された塔やドーム屋根の木造洋風校舎は記念館として現在も使用されています。藩校時代の展示と...
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